アートの本 特集

河鍋暁斎に弟子入りしていた建築家コンドル【アートの本】

明治新政府のお雇い外国人として来日した建築家コンドル。鹿鳴館など日本近代建築の礎を築く中、河鍋暁斎に弟子入りしていた。

 

それにしても明治というのはつくづく面白い時代だと思いますね。それは、産業革命後に激変する世界情勢の中で、当時のグローバルスタンダードである近代化に遅れまいと、やたらに背伸びをしているというのもそうですけど、やはり明治新政府のメンバーをみると、とてつもなく若いことに驚くんですよ。大政奉還の時、西郷隆盛は38才、大久保利通は37才、大隈重信は29才で、伊藤博文なんて26才です。年齢をみると、やはり革命政府なのだなあと思いますね。

さて、ジョサイア・コンドル。この御方、明治新政府がイギリスから招聘した初めての西洋建築家であります。24才で来日し5年間の任期のはずが、日本を愛し亡くなるまで日本で暮らします。

来日すぐに工部大学校(現東京大学工学部)教授として日本に西洋建築を根付かせると、工部省、太政官、三菱顧問など立場を替えながら、鹿鳴館やニコライ堂、三菱一号館など日本の近代化の中で果たした役割は計り知れず、現在も本郷の東京大学にはコンドルの銅像が立っているのです。

なんにせよ、みんな若い。若い政府が、外国人を招聘するなら若い人の方がやりやすいのでしょう。たしかに年寄りの外国人に偉そうな顔をされても困ってしまいますものね。

若いコンドル先生は、29才で河鍋暁斎に弟子入りして日本画を学び、42才で花柳流の舞踊家、前波くめと結婚します。なんというか粋ですな。

さてさて、弟子入りした河鍋暁斎の画法についてコンドルが近くで見てまとめたのが、この本です。さすがに理知的な西洋建築家だけあって、技法を細部まで克明に記し西洋に紹介した潜入ルポのような内容ですが、河鍋暁斎いう鬼才を選んだところがまた素晴らしい。

なぜなら、日本画なんて名前の付く前の江戸時代の技法について書き遺されている書物というのは、実はそれほど多くないのですが、河鍋暁斎は幕末から明治にかけて活躍した絵師で、狩野派、四条派、浮世絵、土佐派、と江戸時代の画法の殆どを身に付けておりました。

ここまで書いて申し訳ございませんが、この本は純然たる技法書です。でも、僕などは、この本を読んで江戸時代と現在の日本画ではこんなにも違うものかと、呆れるほどでした。

しかし随所に自らも建築家として絵には自信がある西洋人がみた当時の日本人絵師の驚異的な技術に関する純粋な驚嘆が言葉になっています。

また、コンドルは、例えば小泉八雲のように西洋化していく日本を嘆き悲しむ様子はありません。(まあ本人が西洋建築を教えているのですから当然といえば当然ですが)日本の良い部分を認めつつも、西洋の優位性を理解していたと思います。

そして暁斎から暁英なんて雅号までもらって、その落款を自作の絵に押し、賞を貰ったりして暁斎先生と大喜びしている様子まで絵で残っています。この本は技法書ですが、本当に楽しんでいるウキウキした気分が伝わってくるのです。

明治を生きた外国人建築家は、大正9年に麻布の自邸にて67歳で亡くなります。11日前に亡くなった妻と共に埋葬された護国寺にはコンドル先生の墓碑があり、こう刻まれています。

「LIFE’S WORK WELL DONE LOVING AND TRUE」

やっぱりねえ、コンドル先生も楽しかったのだと思うのですよ。明治の若い日本が。

 

 

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