コラム 特集

元祖イラストレーター!ウォルター・クレインとイギリスの絵本

出版不況と言われる最近でも絵本や児童書の売り上げは成長しているらしい。実際に、今はあまり読書をすることがなくなってしまった人も、子どもの頃に絵本なら読んだという人は多いのではないだろうか。絵本や児童書等の普遍的に愛され続ける物語は、時代を先取りする雑誌やビジネス書とは異なり、永続的に売れ続ける。また、親や祖父母が子どもや孫たちに絵本や児童書を積極的に贈る文化もまだ残っている。

こうした習慣はどこから来たのか、現在千葉市美術館で開催中の「絵本はここから始まった−ウォルター・クレインの本の仕事」に合わせて、振り返ってみたい。

ウォルター・クレイン『シンデレラ』1873年 鶴見大学図書館蔵

本の中の絵が果たす役割

絵本の始まりは、絵本をどう定義するかによるので、明確にここからというのは難しい。挿絵の入った本自体は古代、中世から存在した。そもそも絵というのは、読み書きが当たり前でなかった大昔の人にとって、情報を多くの人にわかりやすく伝達するメディアのような役割を果たしていた。近代に入り識字率が向上しても、理解を促すために、聖書や教育関係の書物に挿絵が施されることはよくあることだった。そこからわかるように、本に挿入される絵というのは、教育という側面が強かった。

ウォルター・クレイン『妖精の舟』1870年 個人蔵

楽しく学ぶための絵本

そうした絵入り本が進化して、現在のようにページをめくる毎に絵があるような絵本が発展したのは、19世紀のイギリスだ。その要因はいくつかある。まずは中流階級の台頭で、絵本のマーケットが飛躍的に広がったことだ。イギリスの思想家ジョン・ロックは、読み方を習うには、遊びを混ぜておもしろくする方が良いと論じている。19世紀には教育を重んじる裕福な家庭が増え、テキストに加えてイラストレーションで楽しく学ぶことができる絵本の需要が飛躍的に高まった。

ウォルター・クレイン『眠り姫』1876年 個人蔵

ウォルター・クレインの独創性

子どもたちを楽しませる絵本は19世紀半ばには「トイ・ブック」と呼ばれ流行した。それまでは手彩色やクロモリトグラフで本に絵がつけられていたが、木版画による色刷りで大量に出回るようになった絵本である。ウォルター・クレイン(1845-1915)も、トイ・ブックの絵を担当して一躍有名になった。当時のトイ・ブックは、著作権も確立されていない時代で、挿絵画家の地位も高くなかったため、画家名などは本に表記されないことが普通であった。そんな中クレインの手がけたトイ・ブックは、後に「ウォルター・クレインのトイ・ブックス−ニューシリーズ」として、作家の名前を前面に出して再び出版されるなどしたのだから、当時の彼の作品の人気がよくわかる。クレインのイラストレーションは単なるテキストの説明ではなく、画家の想像力で自由に描いた作家性のある作品であった。日本の木版画の至高である浮世絵にも学び、子どもだけでなく大人も魅了する美しい絵を次々と生み出した。

ウォルター・クレイン『フローラの饗宴』1889年個人蔵

絵だけでも独自の作品としてみることのできる美しさを兼ね備えたクレインの作品は、子どもだけでなく大人も魅了した。社会主義者で教育者でもあったクレインの目指した美しさとは、より多くの人々に絵画を通して大切なことを教え、それをみんなで共有するためのツールだったのかもしれない。そして、そうした目的のために絵本のイラストレーションを選んだことは自然の成り行きだったのだろう。

 

トップ画像:ウォルター・クレイン『古いお友だちのアルファベット』1874年 個人蔵

長野県生まれ。19世紀イギリス・アイルランドの歴史や文化を研究しつつ、ライターとして活動している。アカデミアで行われている研究を、より多くの人に価値あるコンテンツとして届けたいと日々考えている。

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