今月のインタビュー

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安藤忠雄
アーティストの創作活動の源に迫る。

『展覧会そのものがメッセージ。私は生きている限り、闘い続ける』

建築家
安藤忠雄

PROFILE

1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、
1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。
社会的な通念、慣習等既成の枠組みと境界を越え、新しい世界を求めて前向きに闘っている。
代表作に「六甲の集合住宅」、「光の教会」、「大阪府立近つ飛鳥博物館」、「淡路夢舞台」、「FABRICA(ベネトンアートスクール)」「フォートワース現代美術館」、「地中美術館」、「表参道ヒルズ(同潤会青山アパート建替計画)」「パラッツォ・グラッシ再生計画」「東急東横線渋谷駅」など。
2009年6月ベニスサンマルコ広場の向かいの15世紀の海の税関の建物を現代美術館に再生した「プンタデラドガーナ」が完成。

イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。
97年より東京大学教授、03年より名誉教授、05年より特別栄誉教授。
著書に「建築を語る」「連戦連敗」「建築手法」「建築家 安藤忠雄」など。

Vol.1 [09.06.04 公開]

「安藤忠雄建築展2009—対決。水の都 大阪vsベニス」とは?

日本が世界に誇る建築家、安藤忠雄の展覧会がサントリーミュージアム天保山で開催中である。大阪とベニス、2つの「水の都」でのプロジェクトを中心に、安藤忠雄の渾身のメッセージが込められた展覧会だ。
多忙を極める中で、展覧会について、大阪再生への意気込み、また建築の可能性や、「闘う建築家」の原動力についてなど、ロングインタビューに答えて安藤が語ってくれた。ぜひ、展覧会に足を運び、安藤のメッセージを真正面から受け止めるきっかけとしていただきたい。
21世紀を生きる上で、さまざまな問題に立ち向かうための多くの示唆に富む安藤忠雄の言葉を、じっくりと味わっていただけるインタビュー。第1回は展覧会について語る。
詳しくはこちらから。
安藤忠雄建築展2009のポスター
「対決。水の都 大阪vsベニス」
安藤忠雄建築展2009のポスター
「対決。水の都 大阪vsベニス」
児島 — 刺激的な展覧会タイトルです。が、実際、どんなことで大阪とベニスが対決するのか、教えていただけますか。
安藤 ベニスと大阪、この一見、関係のなさそうな2つの都市が、水というキーワードでつながれるのです。水とかかわる都市のありかたについて、互いに直面する問題を考えてみようというのが対決の真意です。

ベニスはご存知のように、イタリア北東部、アドリア海につくられた人工の海上都市で、120近くの小島からなり、交易で冨をかさね、中世からヴェネチア共和国として栄えたのですが、海の上に生まれた都市だけに、人間と水との戦いが歴史を刻んできました。現在でも交通手段としては船しかなく、自動車は使われていません。その不便さが逆に観光客に珍しがられ、毎年多くの観光客が世界各地からベニスを訪れます。
大小の運河が細かく町中にめぐらされ、この運河が人間の生活を支えているのです。
ベニスではサン・マルコ寺院とその広場、世界最古のオペラハウスの一つといわれるフェニーチェ劇場をはじめとして栄華を極めた商人たちの館など、観光資源としての建築を丁寧に保存、改修しながら町全体を守ってきたといっていいと思います。
しかし、近年の人口の減少と高齢化とともに、地球温暖化現象の影響で、洪水が頻発し、町が浸水され、都市の劣化がすすんでいるという大きな問題をかかえています。

こんな海上都市ベニスとこの大阪がどうして対決するのか?
大阪はかつて、たくさんの川が街中を流れ、八百八橋といわれるくらいの多くの橋がこの川に架けられ、産地から食糧、物資が船で大阪に集められ、ここから各地へまた配送されたという歴史があります。
しかし、便利さだけを追求した結果、そんな川もほとんどが埋め立てられ、道路と化し、川は人々の生活から遠いものとなってしまいました。
ベニスの例を見ると、不便だがその海と運河に寄り添って生きるという都市の特性を失わなかったがゆえに、現在まで、多くの人々を魅了する都市として成長してきたのです。

私たちも、もう一度この大阪に、かつての活力を取り戻していく一つのきっかけとして、大阪の中心部に流れる大川、土佐堀川、堂島川などの川に目を向けたいと思います。

川や港を人々の暮らしに近いものとしてよみがえらせることをめざし、手始めに、中之島を取り巻く川の両岸に桜の木を植え、川に面したビルの壁面にツタなどを植えて緑化し、川からの視線を大切にしたいと計画を立てました。
桜の通り抜けとして有名な造幣局付近の桜並木をさらに、延伸させ、充実させ、中之島から、大阪港にまで広げようと、大阪市の協力を得て、市民の寄付で、桜の植樹を続けてきました。
大阪に緑が増え、人々の憩いの場が広がっていくことで、市民が自分たちの町をもっと大切にして美しくしていく努力をすることを期待しています。

対決とはお互いに相手から良いところを学びあい、アイディアを競いあいながら、よりよい未来をつくっていこうということなのです。
児島 — 40年間にわたる安藤さんの仕事を<水>を手がかりに読み解く展覧会とのことですが、<水>は安藤さんにとって、また、安藤さんの建築にとって、どのような要素であり存在なのでしょうか。
安藤 私は淀川の川上、毛馬けま閘門こうもんあたりを遊び場として育ちました。小さい頃から勉強はそっちのけで、川原を走り、トンボを追いかけ、フナやイタセンバラ、ザリガニなど川にすむ生き物を取って遊ぶという毎日でした。水の楽しさとともに、水の恐ろしさもこのような生活のなかで知りました。友達がおぼれて死ぬという事故にも遭遇したからです。

ずっと心のなかに水に対する思いがあったのですが、水と建築を直接結びつけた最初の計画が1983年に京都につくった「Time’s」です。
京都の町なかを流れる高瀬川にかかる三条小橋の畔に小さな商業ビルをつくりました。川に背を向けて立ち並ぶ建物に疑問を感じていたので、川面に開放された建物をつくろうと考えました。都市にあって、水がこんなに身近にあるにもかかわらず、その存在を意識することなく生活しているのがもったいないと思いました。護岸を切り、水際にまで人を近づけることによって、歴史的な高瀬川がもう一度、現代の京都の町に息を吹き返したともいえます。
続いて1985年には北海道のトマムの平野に湧き水を引いた人工の大きな水面をつくり、その水面に十字架をたてた「水の教会」をつくりました。春から夏、秋と季節を変えるごとに、周囲の風景も変わり、人工の浅い池の水のせせらぎが、教会のなかにまで聞こえてきます。冬には雪が降り、水面は氷の一面と化します。こうして建築を媒体にしながら、気付かなかった自然の変化や恵みを感じてもらえることを期待したのです。
つぎに1987年には私にとってはじめての公共建築「こどもの館」を姫路の山すそにつくりましたが、施設全体の敷地計画までまかせていただけ、周囲の自然環境をいかに建築と呼応させるかをテーマとしました。そこで目にしたのが、遠景の製鉄所が鉄の冷却に使っていたという大きな池でした。この池に新しい建築を視覚的につなげようと、建物をめぐって浅い水を流したのです。こどもたちには格好の水遊び場となり、初夏からは、裸足のこどもたちが歓声をあげて水と戯れる姿はなかなかいいものです。
1988年には大阪の花博会場につくったパビリオン「名画の庭」でも人工の水を流し、陶板でつくられた名画をより美しく見せようと考えましたし、同じ年には姫路に「文学館」をつくりました。建物周囲に浅い水を流し、周りの雑然とした町の雰囲気から隔離することによって、収蔵された、播磨地方出身の文学者たちの残した文学の世界と来訪者が静かに向き合える場をつくりたかったのです。
翌、1989年には淡路島に真言宗の本福寺というお寺をつくりました。大きな水盤のような楕円形の蓮池をいただいた本堂は、当初、檀家たちからは本尊に水漏れしてはと怖がられ、実現が危ぶまれましたが、蓮は仏教の象徴でもあり、池のなかに降りて、本尊に初めて出会えるという劇的な演出も受け入れられ、今では観光バスで来訪者が来る、淡路島の名所になっています。また阪神淡路大震災の震源に近い所であるにも関わらず、池は壊れるどころか、たたえられた水は、近隣の生活用水として活用されました。
こうして水と建築のあり方を考え続けていた私に、サントリーの故、佐治敬三さんが海を目の前にしたサントリーミュージアムを天保山につくる機会をあたえてくださいました。小さな都市の中を流れる川からスタートした私と水と建築のかかわりが、海とのかかわりに展開したのです。
大阪港は水深が浅いこともあり、大型船の停泊もできず、港湾が担っていた物流も減り、経済の発展につれ大阪湾の埋め立てが急速にすすみ、海は人々の生活から遠いものとなっていた1991年、サントリーの発祥の地である天保山に、ミュージアムをつくろうとの構想があり、佐治さんが私にその設計を頼んでくれました。
海を何とか計画に取り込もうと、ミュージアムに与えられた敷地を越え、大阪市の土地まで広場として使い、海を身近に感じる遊歩道を作り、海のなかには、カールスバーグ・ビールで縁の深いデンマークから寄贈されたマーメイド像を設置しました。
こうして港湾局、旧建設省などの役所の協力を得て、サントリーミュージアムは海に沈む西日の美しい海辺の文化施設として誕生しました。
ここまでいくつかのプロジェクトを語ると、水は私の建築になくてはならない要素としてあり、また水を感じ取る装置として建築がもつ力がわかっていただけると思います。
児島 — はい。展覧会では<水>にかかわる安藤さんの建築、全プロジェクトが紹介されているので、その点がよりはっきりと見えてくると思います。
では、海外でのプロジェクトである、フォートワース現代美術館、ピノー現代美術館、現在進行中のアブダビ海洋博物館について、安藤さんが意図されたことやクライアントとのかかわり、苦労された点について教えていただけますか。
安藤 フォートワースはアメリカのテキサスに位置する代表的な中西部の都市です。メキシコと国境を接し、メキシコ湾を望み西部劇にでてくるような典型的な乾いた町を想像してください。牧場と石油でなりたつその町に文化的な施設を作り、人々の憩いの場をうみだすことを目的に、国際コンペがおこなわれ、私の案が採用されたのです。この乾いた土地に心と体の両方にとってのオアシスをつくろうと提案しました。
テキサスの人々にとって水は特別な意味をもつと思いますので、できるかぎり大きな面積の水面をつくり、まるでその水面に羽をやすめる白鳥のような美術館をつくりたいと思いました。
ピノー現代美術館は元々、フランスを代表する自動車ルノーの本社と工場のあったセガン島というセーヌ川の上流の中洲に、その工場移転にともなった跡地計画として、考えられたのです。これも国際コンペで建築家を決めたのですが、私はこのセガン島が、労働者たちの権利を確立するために繰り広げられた労働運動の聖地といわれてフランスにとって重要な意味をもつことを考え、今度は人々の精神へ強い刺激を与える現代美術の聖地となるような美術館を提案しました。
クライアントのピノー氏は世界的な現代美術のコレクターであり、投資家であるとともに流通、通信、ファッションのグッチやサンローラン、ボッテガ・ヴェネタといったブランドを傘下にもつ巨大コングロマリットを率いる実業家です。
強い意志と行動力に富んだ紳士で、自らの意志でなにごとも推進する人です。
この計画は設計が随分進んだのですが、敷地周辺の整備の遅れや取り付き道路の不備など、行政の業務の遅滞に怒ったピノー氏が、計画途中でこの地での美術館建設を断念し、イタリアのベニスにフィアット社が美術館として公開していた、17世紀の大商館、パラッツォ・グラッシを改修して、現代美術館に生まれ変わらせることになったのです。
ベニスの大運河に面したパラッツォ・グラッシは何度かの改修を経て、元の建築のもつ力を失っていたのですが、ベニスの歴史とともに生き抜いてきたこの商館をできるだけ、元の姿に戻し、かつそこに展示する現代美術のパワーに拮抗できるシンプルな空間を生み出すことを考えました。
フランスの計画を共に進めた経緯からピノー氏と私のあいだの信頼関係はゆるぎなかったのと、1992~1995年に、同じく北イタリアのトレビゾでベネトンのために、古いヴィラを改修して学校に作り変えるプロジェクトで一緒に仕事をした現地の建築技術者たちが、ふたたび協力してくれたおかげで、大阪からはるか遠いイタリアのべニスでも、たいした問題もなく、仕事を成し遂げることができました。
いいクライアントに恵まれ、いい敷地とプログラムを得、ともに考え、協力を惜しまない技術者や現場の労働に従事する人々など、私が仕事を進めていくためにはたくさんの味方をもつことが必須です。

海洋博物館を設計しているアブダビは近年急速に発展してきた中東のアラブ首長国連邦の一つですが、砂漠の民でありながら、海洋に深くかかわる人たちがその国民の多くを占めています。歴史的にも物語<シンドバットの冒険>にでてくるように、海を生活の場として生きてきた人たちが、アブダビを文化的な都市として世界に発信できるようにと、いくつかの施設を、海を埋め立てた人工地盤につくる計画をたてたのです。世界各地で活躍する国際的な建築家、フランク・O. ゲーリー、ザハ・ハディド、ジャン・ヌーヴェルなどとともに私も指名を受け、海洋博物館の設計を依頼されました。石油産油国として生きることに限界を見、文化を発信しようと考えた国家のリーダーたちは野心的でありますが、折からの世界不況の余波は避けられず、計画はゆっくりとしたペースで進んでいます。
仕事の機会を与えられなければ、出向くこともないであろうし、ましてや、アブダビの首長と直接会見することもなかったであろう私が、UAEに出向き、その地の風や水、空気を感じとり、異なる文化や宗教をもつ人々と出会い、あたらしい経済の息吹を感じ取り、貴重な体験をしています。
児島 — ベニスでのプロジェクトについてもう少し詳しく伺います。2006年にオープンした「パラッツォ・グラッシ」と、今年、完成したばかりの「プンタ・デラ・ドガーナ」、そして計画中の「テアトリーノ」の関係について、また、それぞれの概要と特徴についてお話しいただけますか?
安藤 「パラッツォ・グラッシ」は元々グランド・キャナル沿いのサン・マルコ広場に程近い場所に位置する商館で、ジョルジオ・マッサーリの設計により18世紀後半につくられた、新古典主義の建物です。時代と共に持ち主が代わり、何度かの改修で展示会場として使われてきましたが、ピノー氏が手に入れ、改めて、現代美術館として大掛かりな改修を行いました。本来の姿にできるだけ復元した建物の中に、新旧の明白な対比が可能となるように、白い壁で囲われた展示空間を入れ子状に配置する計画としました。

「プンタ・デラ・ドガーナ」は15世紀のはじめに建てられた海の税関の建物を「パラッツオ・グラッシ」より規模の大きな現代美術館として再生した計画です。残っていた建物は17世紀後半に、ジュゼッペ・ベノーニの計画により改築されたものです。
ここでも何世紀にもわたり、度重なる改造の過程で加えられた仕切り壁や仕上げなどを、全て撤去し、建物を建設当初の形にもどすことを原則としました。露わにされたレンガ壁や木造のトラス小屋組により、空間はかつての力強さを取り戻しました。
建物の中央部には新旧の刺激的な対話を生む要素として、コンクリートボックスを挿入し、あらたな現代美術館をつくりだしました。

「テアトリーノ」は「パラッツォ・グラッシ」に隣接しており、かつてこの建物の庭園として使われた場所に、1951年の改修時に設けられた野外仮設劇場がこの建物の始まりです。外観の現状保存が原則のため、ここでも内部に新たなオーディトリアムを内包するコンクリートのボックスを入れ込む計画ですが、「パラッツォ・グラッシ」が完成したあと、「プンタ・デラ・ドガーナ」の計画が先に始まったため、着工予定は今のところ未定となっています。
プンタ・デラ・ドガーナ再生計画
プンタ・デラ・ドガーナ再生計画
プンタ・デラ・ドガーナ再生計画
プンタ・デラ・ドガーナ再生計画
プンタ・デラ・ドガーナ再生計画
プンタ・デラ・ドガーナ再生計画
児島 — 以前会ったベニスの建築大学の学生が、ベニスでは建築イコールレスタウロ(修復、改築)であり、日本のように建築家が新しい仕事を次々と実現するなんて夢のようだ、と話していたのが印象に残っています。そのようなベニスで、再生プロジェクトを実現させるにあたり、どんな思いで臨まれましたか? 
安藤 建築を志す者にとって、近代建築を学ぶことはすなわち西洋の建築を学ぶことでありますから、私にとっても、ヨーロッパの長い歴史に裏打ちされた建築は西洋の文化の集合体を学ぶことなのです。特にイタリアはルネッサンス期に建築や彫刻、絵画芸術が花開き、近代建築の誕生の礎はイタリアの文化なので、そのイタリアのなかでも代表的な都市、ベニスで旧い建物を修復して現代美術館に生まれ変わらせるという仕事はとても興味深いものでした。
日本では新しいものが喜ばれ、新築の建築でさえ、平気で2~30年で取り壊されていますが、イタリアはとにかく、歴史を大切にし、保存のための法律がしっかりと制定されているため、旧い建物に手を加え、再生させながら次代につなげていくのです。また壊した建物から取り除いた部品を大切に保存し、再生時に再び使用するための古材バンクのようなものもあり、国家をあげて旧い建築を大切にすることに感心します。
そんな仕事の機会を得たのですから、イタリアの行政の人たちや、歴史家、また仕事仲間たちからも多くを学び、旧いものを大切にしながら、斬新な建築をそこに組み合わせて、刺激的な関係を生み出したいと思いました。
児島 — では、ベニスという都市の魅力について、改めてお話しいただけますか。
安藤 私は西洋の建築の歴史を専門に学んだ歴史家ではありませんので、ベニスの歴史的な魅力を語ることはできません。
しかし、書物によれば、すでに5世紀ころからラグーナとよばれる潟に住民が住んでいたと考えられます。
千年以上の時を重ね、異民族と戦い、時に異民族からの異なった文化や風習を受け入れ、この海上に石を積み、杭を打ち、教会や宮殿、商館や劇場、広場、市場などなど美しい建築を次々と建て、現在のベニスを築き上げてきたのですから、この都市の持つ文化の重層が非常に魅力的なのです。
水との日々の戦いは大変なもので、私が今回改修をさせてもらった、海の税関の工事中も職人さんたちは半身を水につかりながら、その基礎の改修工事をしてくれました。
しかし、水がこんなに生活に密着した都市は他になく、人々は空港や列車の駅に降り立つと、波しぶきをあげて海を疾走するモーターボートのタクシーや乗り合いボートに乗ると、心は、日常から解放され、躍るのです。
児島 — 大阪、そして日本が、ベニスから学べることは、何でしょうか。
安藤 単純にこれとはいえません。しかし、ベニスの都市の歴史に誇りをもち、旧い建築や、町並みを大切にし、手を加えながら生きている姿勢は学ぶべきですね。
何でも新しいものを取り入れることで、旧いものに価値を見出せない、現在の日本のありかたは問題です。経済主導で早く、簡単に、モノも人も慌しく動いていますが、一度立ち止まって、自国の歴史や自分の住んでいる街の歴史や特徴を見直すことも大切です。
【INFORMATION】
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「安藤忠雄建築展2009—対決。水の都 大阪vsベニス」
水がつなぐ建築と街・全プロジェクト


■会場: サントリーミュージアム〔天保山〕
■会期: 2009年5月23日(土)~7月12日(日)
■休館日: 会期中無休
■開館時間: 10:30~19:30(最終入場は19:00)
■料金: 一般900円

※次回、Vol.2 安藤忠雄が描く、大阪再生のシナリオ編は、2009年6月11日の公開予定です。

インタビュアー

児島 やよい

キュレーター、ライター。慶応義塾大学、明治学院大学非常勤講師。ナンジョウアンドアソシエイツ、横浜トリエンナーレ2001事務局を経てフリーに。「杉本博司 歴史の歴史」(2003年、メゾンエルメス)「草間彌生 クサマトリックス」(2004年、森美術館)「ネオテニー・ジャパン-高橋コレクション」(2008年5月~上野の森美術館ほか)等の展覧会企画を手がける。新聞や雑誌にアート関連の寄稿多数。http://artmama.lammfromm.jp/

児島 やよい